konaxyzのブログ

本のおすすめなどをしていきたいです(仮)

『灰色のダイエットコカコーラ 』佐藤友哉著(講談社)を読んだ

とてもよかった。

佐藤友哉の小説はわりかし最近になって読み始め、いろいろ漁っているうちにこれに辿り着いた。

なので実際たいしてコアなファンでもないのだけども、やっぱりすごく特異な作家、というより特異な存在であるように思えたので一定の興味を持っている。

そういうわけなので、作品自体はもちろんとても楽しめたわけだけれど、個人的にはどちらかと言うと著者自身に対する興味のほうが優っている感じだ。

とはいえ作品の方だってすごくおもしろかった。いつものごとく自意識の強い主人公の周りで、どうにも現実感のないキャラクター達が生きたり死んだりするというか、そういった展開で、一言でいえばいびつなボーイミーツガールというか、いびつな青春小説というかそんな感じで、ぼくにとってはすごく刺激的なもの。

そうしたこととは別に著者自身の人となりというか、あとがきなどから透けて見える著者の人格に対する興味がある、というのがぼくのこの著者に対するスタンスだ。

というところでこの本の紹介は一旦終わり、あとは雑談でも書きたい。

ルサンチマンは乗り越えられるべき、そして基本的にすべての人間に社会性が獲得されるべき、ということが当然ではないと思えてしまった時に、人生は少し厳しくなるように思う。それを苦労して乗り越える、というのが通常のルートで、その経過自体がひとつのストーリーとなって与えられ、それによって人は次のステップへと進める。しかしそれでは、そのこと自体が封じられた人間はどうなるだろう?まるで一つしかドアのない部屋の、そのドアを使わずになんとか部屋を出ようとするように、ぐるぐると狭い範囲を歩きまわることしかできないのだろうか?せめて壁に穴を開けることができればよいのだけれど、それには長い時間がかかりそうだ。そうしているうちにどんどん年老いていき、新たなルサンチマンが溜まっていく。この状況を打破する方法はどこにあるだろうか?とりあえず、部屋などなく、壁などなかったかのように振る舞うことは、人によってはできるとは思うが。

『ブラックカード』夏石番矢著(砂子屋書房)を読んだ

夏石番矢の俳句は個人的に大好きだ。

なんてったって、あのヤケクソ感が素晴らしい。

国境を背にして孔雀の聖家族

フラミンゴの群舞に太平洋のジャズ

空飛ぶ法王鯨の背中でトランジット 

歌ってやれば太っちょ天使に縞模様

われらみなオケアノスの息にあり深夜

サハラが砂のおしろい飛ばすクリスマス

もちろんこの本は国外への旅行にかんする句集ということもあり特別ファンキーだけれど、まあだいたい他の句集も似たようなもんである(たぶん)。

この人は、他に『世界俳句への招待』という著書などもあるとおり、グローバルに展開している文化としての俳句をターゲットに活動している俳人だ。その分破戒僧的な雰囲気もあり、すごくおもしろい。

口語どころかカタカナをじゃんじゃん使ったりして、情緒も何もあったもんじゃないという句も多い。ああ、日本文化の古層を離れた俳句はこうして限りなく言葉遊びに近づくのだなあと思ったりもするけれど、そうした中にふと新たな情緒のような何ものかが芽生える瞬間もある。まことに発展途上の営みなのだなと思わされる。

けっこう中堅的な年齢になっているとは思うけど、同じ方向でこの人を越える俳人はなかなか見当たらないというのが現状なのだろう。

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』岩崎夏海著(ダイヤモンド社)を読んだ

期待以上におもしろかった。

展開やキャラクターの配置など、極めて綿密に計画されているのがわかる。

エンターテイメントとしての小説の王道展開をベースにしながら、その中でちゃんとドラッカーの内容が絡められていく。きちんとした細かいプロットが存在している感じ。

個人的には、序盤の部分が一番楽しめた。マネジメントの考え方が浸透していない組織に対して、どのようにして最初の一太刀をキメるかという展開のスリリングさ。

そういえば著者は以前、ニコ生で東浩紀と一緒に「芥川賞を計算で取るには」みたいな番組をやっていたなあ、というのを思い出す。

その番組はちょっと当初の予定とは違った方向に流れていってしまった感じだったけど、要はそういう発想というか信念みたいなのを持っている人なのだろう。賛否はあるだろうけど、個人的には共感する。

現段階のぼくの理解でいうと、作品自体に内在する価値とは別にその作品を人がどう評価するかというのがあり、後者の方をコントロールするにはどうすればよいか、というのがエンターテイメントとしての価値の高め方という話じゃないかと思う。

要はそこにマーケティング的な方法論が介在する余地があるよ、と。それがたぶんハリウッドのやってきたことであり、エンターテイメント小説のやってきたことなのだろう。

一方で前者が関係するのはたぶん歴史的・文化的な話で、こっちのほうがコントロールは難しいだろう。当該ジャンルの作品史のようなものを見据えたうえで、どのように作品を編み上げるかというような話。もしかすると、多くの人が評価するかどうかということと若干ズレてくる可能性もあり、言語化が難しいはず。

余計な考察をしてしまったけれど、とにかく楽しめる本だった。

『句集 松島』長谷川櫂著(花神社)を読んだ

長谷川櫂は、おもに俳句の入門書みたいな本で読んでおり、おもしろいと思っていた。

なので、これは本人の句集も読まなければ、ということで読んでみた。

なんというか、変な話とても「納得」という感じの作品群だったように思う。

べつに本人の理論的な話と作品にズレがあるわけでもなく、ふむふむたしかにかの本に書いてあるとおりだ、となるのだけれど・・・

個人的には、そこまで作品に力を感じなかったというか・・・

迫力がない、とでもいえばいいのか。押しても引いても突き抜ける、なんというか霞のようなというか。

いやもちろん、これを気に入る人はたくさんいるだろう。けれど、さすがにここまで気迫がないと、読み進めるモチベーションが湧いてこないではないか(すくなくともぼくは)。

ただともかく著者が芭蕉を尊敬しており、それを現代に受け継ごうとしているのだ、ということは強く伝わってきた感じがする。

でも勉強不足のぼくでさえ感じられるほど芭蕉の俳句は多様で、著者が受け継いでいるのはそのうちの一側面(もちろん重要な一面ではある)でしかない。

そんな風に思った。

『あらすじで読むシェイクスピア全作品』河合祥一郎著(祥伝社)を読んだ

個人的にこういうのが欲しかった、という本。

簡単なあらすじと人物相関図、最後に台詞の一部引用(原語対訳)という構成。

相関図は素直に嬉しい。役柄の多い歴史劇なんかは、文字だけで関係性を追うのがとても億劫なので。

台詞の原語対訳というのは、見たことのない作品でもイメージをつかめるので結構嬉しい。それに、原語を見ることも普通にしていればほとんどないので、そういう意味でもよかった。

しばらく前に一念発起して全作品を読み通そうとしたんだけど、歴史劇で力尽きたので、そこのあらすじをチェックできたのはよかった。これで次は読破できるかもしれない。

ジャンルごとに並べられた作品群の各章の前に、簡単なジャンルのアウトラインを付けてくれていて、これはとくに歴史劇の全体像をつかむのにとても役立った。とにかく歴史劇は同じ名前の役が多すぎる(領地の名前で呼ばれてる人とかもいるし・・・)。

小説とかでもそうだけど、あまりに古典な作品はこういう要約から入ってもいいと思う。そりゃあなしで読み通せればそれにこしたことないけど、途中でリタイアするより全然いいんだし。

とりあえず個人的には、他のジャンルでもどんどん使っていきたい。

『幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』笹山敬輔著(彩流社)を読んだ

素直におもしろかった。

とはいえ(たぶんよくある感想だろうけど)、やっぱりいま最先端のアイドル用語を使いすぎではないかと思うところも。

そのことによって例えば、興味深い事例を掘り起こしてきた興味深い本であるにも関わらず、軽く消費され消えていっててしまう可能性があるのではという感じが個人的にはした。

つまり、流行り廃りの激しい言葉を使いすぎることにより、息の長い本になりにくいのではという危惧。

もちろんそのことによって、この本の訴求力の強さが生み出されているのもおそらく確かだとは思う。

なので結局はバランスの問題かとは思うけれど、ぼくの個人的な好みではもう少し控えめにしたほうがよかったのではと思う(個々の事例がおもしろいだけになおさら)。

なんとなく、功を焦っているのかな〜というか、そんなにおいがした。

とはいえ、描写もとても生き生きとしていて引き込まれた。

薄い本ですぐ読みきれるのも魅力か。

あとは類似性が強すぎて、差異が見えにくかったというぐらい。

「あ〜今と同じだな〜」っていうのは星の数ほどあり、著者もそこを強調した書き方をしているけれど、「あ、ここは違うんだな」っていうのはほとんどなかったように思う(見逃しでなければ)。

戦略だろうとは思うけど、もう少し中立的な視点があれば何年かあとに読み返しても同じように楽しめたかなあと思った。

『加藤楸邨句集』森澄雄ほか編(岩波書店)を読んだ

読んだ、とは言っても量が量なので、拾い読みしてみただけの段階。

加藤楸邨の全句約9400句から約3000句が収録されており、550ページほどの厚さ。

岩波文庫で550ページなのでわりと厚めに感じるけど、文庫サイズなのでまあコンパクトにまとまっていていい。

加藤楸邨に辿り着いたのは金子兜太の師だからという理由だけだったけど、読んでみるととても気に入った。

兜太と比べると、全体的にかなり硬派な印象を受ける句が多い。

身の回りの事物に対する視線はとても申請である一方で、形式的にはむしろ保守的と言ってもいいぐらいの言葉の並べ方をしているように思う。

遊びがない、といえばそうもいえるが、この厳しさ、鋭さはそれを補って余りある魅力がある。

とりあえず今パラパラとめくって、目についた何句かを引用しておく。

一本の鶏頭燃えて戦終る 

「見えたる物の光」茶の花芯ともり

冬苺あきらめしものは美しき

猫に名をあたへて我はしぐれをり

ふくろふに真紅の手毬つかれをり

塔消えて蝶のことばは曲線のみ

木の実独楽はるかな音の中にあり

ふくろふに〜の句は、楸邨の代表句のひとつとして引用されることが多い。